「え・・・」



―――どうせまた蒙恬が学校を抜け出しているだろうから、誘って鍛練しよう!―――


同行者も吽とし、そう言って歩きはじめて一刻。
急に足を止めたのには理由がある。

話があるとしたのは同行者。
何だろうと―――畏まって珍しい。少女は腰を下ろし、彼もそれに倣った。



頬に吹き付ける風が気持ちいい。
気に入りの高台。三人揃えばここで寝転び、ともすれば語る。

そんな場所で二人きり。
王賁と寳子は隣合い座る。

ただ二人であれば妙な緊張感も生まれず、昼餉の余韻に目を擦る所である。

しかし様子が違う。
彼らの視線は若干下を向き、沈黙をいいことに風音が耳を劈く。
そして暫くした所で、王賁が視線を交えぬまま口を開いた。


―――俺は王家現当主の子ではないやも知れぬ―――





故から反射的に。
彼女の口をついた言葉はただの音。

え、としたそれには、理解も。疑問さえ未だ浮上しなかった。



「・・・・・」
「・・・・・」


互いに次の手を打てずにいる。
こんな時に限って先程まで煩かった風が凪ぐ。


『現当主の子ではない』



王翦の子ではない。
その一点に気が集中する。
途中、身が強張る自分に気が付いた寳子は静かに目を閉じた。

音はない。

一呼吸ののち、言葉を口にした。



「・・・大丈夫。貴方は、王翦様と朱景様のお子だよ」


精一杯ではない。
声を振り絞った訳でもない。

ごく自然に出た言葉に応と、目蓋が活力を抱くようにして開く。

これに王賁は微動だにしない。
ただ彼も自然と、言葉を続けた。


「・・何が大丈夫だ。勝手なことを言う・・・」

「ああ。勝手に聞かせられた手前、勝手に言わねば均整がとれないだろう?」


これには不意をつかれたと王賁が彼女を凝視する。
対していたずらっぽく。
彼を見返す寳子の笑顔は優しく―――― 嘘だ。聞いたからには言わせてくれと、小さく咳払いをした。



「・・・ここから言う言葉は勝手に勝手を通す。
   
   独り言だ。だから間違っていたり、不要なら聞き流してほしい」




貴方が何を以てして手前に話してくれたのかはわからない。

ただ、勝手に。
不安そうだと、勝手に。

どこか悲しそうだと勝手に思ったから。


それを馴染みの身として。友が辛いならそれを和らげたいと思った。


だから大丈夫だと。
    私 が 言いたかったのだと、寳子は紅紫紺の瞳を瞬きせずに言い切った。




「でも、この大丈夫にはちゃんと理由があるんだ」

ほう、と。王賁はしかし、どこか期待しないでない。



「私と貴方とでは、決定的な違いがある」



そう言って顔を上げる。
見据える先の彼女の視線は天にある。

天に何がある。
何が見える。

そんな寳子の行動とは裏腹に、王賁は視線を下げたまま黙し、ただ彼女の言葉を待った。




「だからこれは『女』である私の、勝手な言だ」


他にも答えがあるかも知れない。
けれども敢えて、女という括りをつけると言う。


――――何だそれは。
       王賁がそう、彼女の方を向こうとしたその時だった





「『無礼(なめ)るなよ。
   私だけでなく、私の選んだ男を侮るな』」




主に信も置かぬばかりか、戯言をぬかすな矮小が。




そこまでを、天を見上げつつ言い切った寳子がふと、視線を変える。

斜め上に見る。
彼の、茫然と自分を見つめる様に、彼女はつい笑ってしまった。



「ふふっ!はは・・すまない。
   朱景様はそんな口汚く仰る方ではないと思うけれど」



一頻り笑った所で息を整える。
二人は視線を交えると―――寳子の方がやはり。再び、笑ってしまった。

それまで神妙な面持ちで真剣に、実に扱い難い話をしていた筈であるにも関わらず。
王賁は先程まで強張っていた、あらゆるものが軟化している事に気付く。

笑顔に自身も空気も感化されたのか。
また吹きだした気まぐれの風も、今は柔らかい。


笑って、また少し。
もう笑わないと、寳子はもう一度王賁を見つめ直した。


「天と地がひっくり返って、もしかしたら。 本当に子ではないのかも知れない」


それはわからない。
だが。しかし。それでも。




「貴方に信じていてほしい。
   貴方が信じることを、私は信じる」





何を天地とするか。

何を信じたいか。
何を選ぶか。


――――――答えがなければ、答えを持て。






「寳子っ・・」


それを受け、王賁はこれが最後の真実と彼女の名を呼ぶ。

吐き出したい想いの末。
背負った血を、重いそれを吐くようにして声を絞る。


「俺は・・あの男にとって妻を殺し・・・ 母を殺した―――・・!」




そこまで言って、言えなくなった。


否。
許されず。




目前の紅紫紺がこれ以上を制する。




ただ何も言わず。
眉間に皺を寄せ、口をこれでもかと噤む。


それが答えだと、寳子は『言った』。






悟る王賁に寳子は居直り、握り込められた拳に―――ぽんぽんと、手を合わせた。


言われて、何を思ったろう。



見上げる紅紫紺が美しい。
黒赤の髪がしなやかに靡く。

陽を浴びて、強く信じるとした笑顔が   愛しい。



そんな想いに、世界が滲んだ。




はた、と。
気付いた寳子は一旦は驚くとすっくと立ち上がる。
彼の方を見ないようにして先に歩き出した。
自分の状況を呑んだ王賁は急いで彼女の背に手を差し伸べるが、届かない。

「っ・・!」
「王賁!先に蒙恬を探しておくから後から来てくれ!正門前で落ち合おう!!」


背を向けたまま得物を振り上げる。
足早にする彼女の背に、王賁は揺れる声で言い放った。



「お前は俺の背を見続けると言ったが!!!」




通る声は、まるで将のもの。
才があると―――武官の体さながら、そんな事を思うと寳子は一時歩を止めた。




「・・・背にする時は、俺がお前を護る時だ」



上げられた得物が揺れる。
ゆっくりと下げると、続く言葉を待つようにして背は黙した。






「・・・・・ずっと、俺と同じものを見ていろ」






ささめいたのは、木の葉だけだろうか。


寳子は背を向けたまま『何も言わず』。
王賁は彼女の走り去るままに、これを追う事も適わない。

この後、落ち合う。
この場の儘を引き摺っては行けないと、しかし蟠りは彼の内に籠った。






しばらくして立ち上がる。
少し陽が傾いただろうか。

滲みはない。腑に落ちたと、伸びる背は幾許軽い。
王賁は得物を確と携えると、待ち合わせの正門前へと急いだ。























(・・・・・・・・・・。)


もはや誰もいない高台に一人。
派手な見目である。加えて子女と見間違えるくらいには美しい容姿に見紛うことはない。

なぜ彼がここにいるのか。
至極道理である。
寳子は未だ、彼を掴まえることが出来ていなかった。




(・・・・ ・・なんでオレ)


茫と、高台から見下ろす城下は相変わらずで。
学校を抜け出し、二人を探していたのも日常で。

何が変わったでもない、しかし。

何かが、確実に変わりつつあった。




「・・・ 出られなかったんだろ」



呟くと、一歩一歩正門へと足を運ぶ。

二人に会う。
会ってどうしよう、などと考える自分がいる。


蟠りがここにも一つ。

蒙恬は淡々と――――
  しかし木の葉のようにささめく己が内を聞きながら―――高台を後にした。









190512

home