『このままここで、あいつらとやっていけばいいんじゃないか』

手を伸ばし果実を掴む。
包むようにして添えられた手は、未だもぎ取るには至らない。
天を見上げれば眩い太陽。
燦々とその光は地に惜しまなく降り注いでいた。

「貂」
「ぁ・・寳子!」

軽く挨拶を交わす。
その出で立ちは帯剣し、胴にのみ防具をつけた軽装のものだ。

「早いなあ!あ、剣あったのか」
「合流地だからな。食糧から武器まで一通り用意されてたよ」

共に上げた手を弾くと、寳子は貂の隣に身を置いた。
出会いこそ険悪であったものの、現状関係は良好のようだ。
料理の腕に懐柔されたのではという疑問は、
このさい可能性として置いておくが無難というものである。

「朝餉の果物取ってるのか?」
「う、うん。まあ、うん(あれ・・)」

先程まで己が考えていた物事を気付かれまいと焦る貂。
急いて頭の端に追いやった所為か、不審な挙動をとる。
とって恐る恐る再度寳子を一瞥する。
どこか目に赤みを帯びる彼女に疑問を抱く。
当の寳子はニ、三度瞬きをするが、事無げもなく彼女も果実を手に取った。


「貂、かぁ・・」
「へ?」


共に果実を手の先を使い上手にもぐ。
貂は寳子の赤く腫れた目に疑問を抱きつつ答えた為、その反応は素っ頓狂なものだった。
それも相俟ってか彼女は、貂の顔を見やるや否や朗らかに笑いだす。

「え?え?えぇええっっ!?」
「っふ、はははっ!」

訳もわからず手を上げたり下げたりと気忙しい貂に、寳子は制して答えた。

「い、いや、ははは、ご、ごめんね貂、ちょっと、こっちの話でっ・・!」

沁み出る涙を指で掬いながら、困ったようにたどたどしく話す寳子。
貂はそれを、こちらの方が困る!と言わんばかりの不服そうな顔で以て受ける。
しかし以前とは違い明らかに自分に気を許す彼女に、悪い気はしなかった。

「何なんだよ一体・・人の名前言って勝手に笑ってさぁ」
「ごめんごめん!―――――私にも『テン』っていう友達がい・・ ・・るから」

ほんの一瞬言葉に詰まる。
何を思っての事か、までは至らない。
貂が疑問の体で見やる中、寳子は敢えて口にせず笑顔を向けた。

「へー、友達かぁ・・ 黒卑村じゃそんな風に呼べる奴いなかったからなぁ」
「ぁ・・すまない。気が利かなかった」
「え゛っ!ぜんっぜん!!そ、それよりその寳子の友達ってどんな人なのさ、笑ってたけど!」

焦りながら必死に話題を変えようとする貂。
寳子はまた思い出したのか、少し笑うと話し出した。

「蒙『恬』と言う。王宮に将軍の子らが来ることが間々あって。
    その時に出会った。友と言うには気安過ぎるが」
「ふ〜ん・・そっか。じゃあ寳子は王宮に友達多いんだな(ってやっぱ良いトコのかぁ)」
「私は昌文君、殿の子だからな。無下にはされなかった」
「・・・・ ・・・・は?」

唐突に告げられた真実に貂が固まると寳子は苦笑いを呈した。
信と同じ心持ちにあったかと思うと、悔恨の情が浮かぶ。

「友は王都、王宮・・ ・・うん。必然的にそうなったな。
   顔を見せておくという意味と、実際に貴人等に接しておく事は重要な『子供の仕事』だったから」
「おっ・・おお」
「軍の修練場を借りたり、書簡を読んだり・・果実を拝借したり、つまみ食いしたり」
「おい。・・・おい」

二度返す貂。
明らかにおかしいと思われる部分に突っ込みを入れる。
冗談という寳子はしかし、小さく本当だけど、と呟いた。

「ただの悪ガキじゃねーか!」
「余りものだ、余りもの!・・と、そう出入りしていれば
     年近くの者達とは自然と親しくなる。如何な理由だろうとね」
「・・・・・」

「殿には口酸っぱく一線を引いておけと言われていたのに・・そこは子供のやる事でな。
    程度を測れず、手数を掛けてしまった事もあった。
       王宮にいれば友以外にも多く、色んなものと対峙する事になったが」

言って口を噤む。その面持ちは慎重だ。
彼女は今、一体どんな思いを巡らせているのか。
気に掛けつつ、どうにも行動できない貂は寳子の次の言葉を待つ。

「はは、脱線した!・・ちなみにさっき笑ったのは
   彼の『わはー』っとした笑顔を思い出したからだ」
「いや聞いてねぇけど?つかわはーって何だよわはーって!」

突っ込まれた寳子は傍とし、一寸考えた末に極々ゆる〜い笑顔で説いてみせる。
全く反応のない貂を前に、咳払いを一つすると何事もなかったかのようにまた語り出す。
眉間には皺が寄り、些か気分を害している印象を受けるが
その紅潮した体からして彼女は彼女自身に害されてしまったようだった。

「ちなみに何種類かある」カラッとしたのも。
「何だよそんな個人情報いらねぇだろーがよ!」オレはそいつの何だよ!
「彼がまた中々の好人物でな。 悪 い 意 味 で 」
「なんじゃそりゃぁああ!良いのか悪いのかハッキリしろよ!」

ボケとツッコミが乗りに乗る。
ちなみに寳子にボケの意識はない。
いうなればそれが貂にとっての最大の突っ込み案件だった。

両者笑う。
そんな中、貂はふと思った。
『寳子も突っ込み所あるけど、その友達ってのも大概だな・・』
もちろん口にはしない。した所でいつ何時また剣を突き付けられるか知れない。
流石あの黒卑村に在って耐え忍んだだけはある。
危機関知能力はズバ抜けていた。


「私はあいつに謀られたんだ。数年も」
「年かよ!ダメじゃん!!・・ってえ!!」


それ友達じゃないじゃん!
酷ぇ!そう罵る貂に、うんうんと頷く寳子。
話も酣と座り込み、朝餉に用意される筈であったろう果実は既に郎共の手に落ちた。
口を動かしながらまた口を動かす。
実に器用である。ここにもう一人女がいれば実に姦しい。
もはや両者、話す気聞く気満々である。

「――――――ふふ、いや!
   まあもう過ぎた事だし、内容も内容でね。気付かない私も悪かった」
「で?何されたんだよ。
   まーその様子じゃ、しょーもなさそーだけどな〜」
「内容は仕様もない。しかし私の心は多少なりとも傷ついたのだ」えへん!
「だーもー早くいえっちゅーに」はよせー

「・・・・・ある日、女友達だと思っていた奴が次の日から男友達になっていた」


深。
一時の静寂。
片や過去に思いを馳せ、片や岩の類かと固まる。
このとき貂の心は漣立っていた。

「・・・・・・よ、よく気付いたな」ボソッ
「いつの日か白状してきた。真意の程はわからん。気分かもな」
「はー。でもさ、女友達なら一緒に水浴びとかしなかったのか?そういう時にわかるモンじゃねーの?」

と。あれだけ可笑しく話していた彼女が急に口を閉ざしてしまう。
違和を覚えた貂も釣られる様にして黙ってしまった。
地雷を踏んだ事は確かだが、爆ぜぬぶん気味が悪い。


「しなかったな。人前で肌を晒すのは好きではないから」


別に珍しい事ではないだろう、と。
殊の外明るく。それだけ言ってまた一時。

そして暫くして寳子は話の続きをし始めた。
欺瞞に満ちたその人とは
一、出会った頃は自分より背が低く、華奢で可愛らしかった。
一、声が変わっても風邪かと思った。
一、そのまま低くなってて喉痛めたと思った。
一、胸云々は余り見ると失礼だから見ないようにしていた。
一、誰も何も言わなかった。一、何故か。


曰く、蒙武様の子、蒙恬は男子と聞いていたが
  本人も騙った事から実際は女子なんだとすんなり状況を呑んでしまった、と。

「仕官するのに女では無理という事はないが、弊害があるにはある。
  煩わしさから初期、男に扮装するのは珍しくなかったが・・威のある名家の子もするものなのだなと」

ここでまた貂は一つの答を得る。
この寳子という女兵士は――――― 己が身を兵士然として固めない限りは―――――
周囲に対し恐ろしく鈍いのではないだろうか、というそんな、言うなれば"しょーもない"答。

「彼が箝口令を敷いた事はもちろん、面白がられていたのかも知れないな・・皆に」
「オーゲサすぎんだろ」
「いや侮るな。彼が本気を出せばそれは何であっても『本気』なんだ。・・どんなくだらない事でもな」

溜息を吐き、ぐぬぬと唸る。
それはそれは真剣に唸るが、対面する貂にとってはそれがまた何よりの懸念だった。
彼女が最後に言った言葉を、彼女自身にも言ってやろうかとも思う貂はしかし
口を開けるものの、そのまま溜息を吐いて終わった。

「そいつどんだけなんだよ・・」
「それだけ影響力が強い、という事かな。さすがと言うべきか。
   どうだ?『しょーもない』だろ?」まあ私の心は深く傷つ「嘘つけ」

貂の迅速な突っ込みが入る。
明らかに言いたいだけだろう。
さも自身に降りかかった不幸と言わんばかりの極言に釘を刺す。
思い出したら些か腹が立ったので、とは彼女の弁だ。

「基本的に面倒な事はしたがらない筈なんだが、本当にあれはいま思っても謎だ。(しかも自分でバラしたし)
   兎に角、やる時とやらない時の差が激しいんだ・・蒙恬は」

一区切りはついたと果実を口に放り込む寳子。
甘味に幸せそうな表情を浮かべる彼女を尻目に、
貂はこっそりと後ろを向くと、神妙な面持ちで不味い顔をした。

(・・・・・っべー〜〜〜・・・)

とりあえず"傷付いた"と執拗に言われる覚悟は持った。
聞き役は俯き、嫌な汗を掻いては思案する。
向き直る貂に疑問符の寳子。
貂には思い当たる事があり過ぎた。

「あと悪い意味というのは言い過ぎた。こう、何だろうな。軽い・・うん。飄々としている、かな。
   捉え所のない奴で。浮ついているようで聡明で。軍略を教えてくれたり、よく笑わせてくれていた。
       ――――――でも王賁は一つも笑わなくて、蒙恬は苦笑してたっけ」

いや、偶に笑っていたかな。
冷笑だけど。
困ったように笑う寳子。
まるで思い出話のように語る彼女は、どこか悲しそうだった。

「おーほん?そいつはどんなんなんだ?
  話聞いてたら冷たくてイヤな奴っぽいけど」つかやっぱ大概・・

「え!」
「え?」

明らかに違う反応に逆に訊き側が戸惑う。
手早く済まそうという事なのか、寳子はもいだ果実を持ち立ち上がる。

「お、王賁か?あ、ああ・・冷たいというよりは冷静で、
    でも大胆で、実直で・・外に比べて内は熱い猛者だ」
「何だそいつややこしいな」

吹き出す寳子は、必死に果実を落とすまいと姿勢を保つ。
つられて笑う貂も果実を手に立ち上がった。

「ま、まあそう言ってくれるな貂。彼はとても尊敬できる人だ。馴染みという意味では最も古い。(色んな意味で)
    ・・それに貴士族としての誇りが高く、高・・ ・・すぎる、けど」
(やっぱややこしいんじゃねぇか・・)

唯でさえこの状況にややこしさを覚える貂にとって、この先を示唆する懸念事に辟易とせざるを得ない。
そんな肩を落とす貂に、更なる懸念。
何故持ってしまったのか。頭を擡げる。

(秦国の上ってもしかしてそんなんばっかじゃねぇ・・?)

やはりロクな事ではなかった。
そうでない事を祈りたい。主に見返りを求める身としては。

「本当に、その。父君であらせられる王翦様が偉大過ぎて。仕方のない事なんだ。
   彼は度を越えて期待に応えようとしているし、応えるだろう。そういう人だ」
(お?おおっ??)

「そのような人が何故あんなこと・・」

小さく呟き、失言と気付く。
ははは、と乾いた笑いを上げる。
複雑な面持ちの彼女を、貂は恐々と更に覗き込む。
困惑の体はしかし、赤みが差しているようにも見える。
が、そこは貂。
無性に気になりつつも、信のようにからかってはいけない事を瞬時に把握し、口を噤んだ。
眉間に皺を寄せ、溜息をつく寳子の一挙一動に気を削がれる。

「な、なぁ〜んかいいなぁ寳子はっ!友達多くてさァ・・フクザツそうだけど」
「い、いや。別に複雑なんかじゃない。そう思わなければいいだけの話だ・・」
(いやそれ複雑って言ってんじゃんーーー!!!)
「――――あと私の側の位から言えば、この二人はとても友達とは言えない間柄なんだけどね。
        手習いの志といった所だ。昔馴染みで仲良くしてくれている」はず。
「あ・・は、ははは。」はず?

ややこしや〜、と。
好奇の体はしかし無粋と。
じと目で見やる貂に寳子は釘を刺した。

「こらこら、この話はここまで。早く朝餉を作らないと面倒な事になるぞ?」

煩いのが一匹いるだろ?と。
歩き出す寳子に慌てて付いてゆく貂。
すると前方をゆく彼女が、少なくとも貂にとっての驚愕の言葉を口にした。


「しかし貂は料理もできるし、面倒見がよさそうだから良いお嫁さんになれるな!」


爽やかに言ってのける寳子の首を、飛び上がって腕で刈り取る。
小気味の良い音が聞こえた所で、恨めしそうに彼女が貂を見た。

「・・・痛いんだけど。貂」
「おまえっ・・・何でだよ何でオレが、っつかオレって言ってんだろだからオレは男・・・!」
「へっ!男なのか!?
   ・・・可愛いから女の子とばかり思ってた」

可愛い=女。
成る程、と頷く貂は
この事態がもはや複雑なのか、余りに単純すぎるものなのか見極め兼ねていた。

「そうか・・それは悪かった河了貂」
「いや。いい。もういい。女。オレ女。だけど他には絶対言わないでくれんでもって貂でいい」

認めておいた方が良いと、貂の本能が口を割る。
沈んだ表情から一転、他意なく喜ぶ寳子を前に項垂れる。
この調子では『傷付いた』というのも強ち壮語ではないかも知れない。

「貴士族出の娘はその殆どが同格の家に嫁ぐか後宮に入るかになる。
   私はこんなだから。親しくなっても遠くに行って離れたり、話とかも合わなくなってしまったりして。
     そうなると周りは男ばっかりになって―――――・・って、別に嫌とかじゃなくてね。はは・・」

何だろう。
出会ったばかりは如何にもな兵士だった者が。
目に見える等身の通りに映る。

「だからこう、ちゃんと女の子と話すのは久しぶりなんだ。
    ・・何だか一人はしゃいでしまってすまない」

気持ち馴れ馴れしかったのはその所為なのかと貂は納得する。
気にするなと一声かけ、頬を掻き照れる寳子を見詰める。

これが友達というモノなのかも知れないなと、貂は朧げに思った。


「ってーかさァ・・その」
「?」

「か、可愛いとか別に。気ィ遣わなくていいからな」そんなの
「?? 何で私が容姿の事で貂に気を遣うのかわからないけど・・」
「とっ、とにかくもう言うなって!!」

人前でバラすなと言われた手前、言わないよ、と疑問符を浮かべ寳子は言う。
どこかズレの否めない脈絡に、貂はもはや言葉を持つ事をやめた。

足先が宮に向いた時だった。
寳子が不意の質問をする。

「貂って山の民だよね?」
「え、うん・・まあ詳しくは知らないけどさ」
「山の民って沢山いるから・・  ・・・ん?」
「へ?」

暫し思案する。
貂を見て。視線を外してはまた考えに耽る。

「いや、いま何かひっかかって」
「飯食ったら思い出すだろ」

貂は彼女を放って歩き出す。
腕に納まる果実から芳醇な香りが漂い鼻腔を擽る。
大きく息を吐くと、小さく言った。

「・・なあ。今は何してどこ居んだその、友達。これから合流するのか?」
「え!あぁ・・それぞれに事情は違うが・・ ・・今はここよりも、そして王都咸陽よりも遠くに身を置いている」
「?『味方の方の部下』、なんだよな?」
「・・そうだな」
「え。それって」

おかしくはないか。
丞相同士が王と王弟とに分かれ、いま王都は後者側の手中に納まっている。
この現状でさえ甚だしいにも関わらず、王が身一つで逃げ回る中で唯一の味方も分散し、
その中で勢力を張るであろうもう片方が遠くに在る。
佇む貂の様子を感じ取ったのか、振り向こうと踵を返す。

「貂。秦という国はな。いま一つではないんだ―――――――」

振り向きざま、彼女の手から果実が零れ落ちる瞬間を見た。


「――――――――ちなみに こ れ は、『敵』として出てくる分まだ易いっ!!」


言い終わる前に刀身を抜き陽の光を反射させる。
光は誰彼の目を焼き、狙う手元を狂わせた。
鈍く呻いた声は知らぬ声。
寳子は貂の手を引き、遠く後退させる。


「んぐぐぅ・・眩しいべ、んだぁ真似するとは許せんべな」

蓑の恰好に、文様を入れた墨の体。手には木製の棒のようなものが握られていた。
聞きなれぬ言葉に寳子は刺客の一人と判断する。

「吹き矢か。山の民の一部族と見受けるがどうか。
   ・・縄張りを荒らしたのなら謝るが―――――それはここが王共の避暑地と知っての事か」

剣を構え、淡々とする寳子に相手もどこか飄としている。

「頭巾の奴を殺したのはお前・・ではないだべな。途中で匂いの混ざった奴だべ。
   まずはそいつから始末せねばならぬから退くといいべ。さもなげば・・」

吹き矢と称された棒を口元に添える。
一気に張りつめた空気が場を包んだ。

(だっ・・誰だよあいつっ・・!)
「貂!宮へ戻り大王にお報せしろ!!ここは私が引き受ける!!!」
「え!あっ・・!」

狼狽える貂を余所に一歩にじり寄る寳子。
その様子を見て男は笑った。


「娘っ子一人に何ができるべな」
「知った時には死んでいる」



張りつめた空気に禍々しい殺気が含まれる。
全身で浴びる彼女はしかし、一点を見詰め微動だにしない。
動じない。
決して弱い相手ではない。
先程までの気とは比べ物にならない殺気を放つ男を前に、
この寳子という少女はたじろぐ所か慣れた体でそれを受け止めていた。
彼の者の命を狙う。
構える剣は既にその者の命を絶つべく、脳裏に軌道を描いていた。


「ちょぉおおーーーーーーーーっと待ったぁああっ!!」


鋭く洗練されていたであろう彼女の気が
ぷつり
一気に途切れる。
それは刺客の男も同じだった。
双方からの訝しげな視線を浴びながらも、存在を崩さぬ其奴は堂々と
――――文字通り空気を読まず場に殴りこんできた。

「よぉ蓑虫野郎。頭巾の奴とか言ってたが、やったのは俺だぜ」

親指を自らに立て、大きく主張する。
思う所は寳子も刺客も同じ所であった。

「・・そのようだべ。クサい臭いがぷんぷんするべ」
「んだとこのやろぉおおおっっ!!」
(バカだっ・・!!)

喚き散らす。
信をバカと謗る貂だったが、汗も吹き出す場を裂いてくれた事には感謝した。
その信と刺客の男が対峙している間に、寳子は貂を宮まで誘導し、指示をして手早く戻る。
痛くなる頭を押して、なんとか声を掛ける。

「―――――信」
「どかねぇぜ!こんなやつ俺一人で十分だ!!お前は貂と戻ってろ!」
「ああ譲ってやる。そいつくらい倒せぬようではこの先使えないからな」
「おぉ素直・・ってあ゛ア゛っ!!?おま、俺は今でも十分強ぇんだよっ!!」

先程の朝方までの静寂が嘘のように喧騒が響く。
神聖と謳われた場所は、今はただ何処其処の庭だ。

「んだぁ?仲間割れだべか。ほんに平地の民は醜いべ」
「他部族の者よ。間をとらせたな。
   こいつの事を殺してもいいぞ、本気でかかってきてくれ」

寳子の言葉に口は驚愕の凡の字に開かれる。
して口角を上げると気前よく語った。

「フム。娘っ子の方はまだ礼儀正しいべ。後でちゃんと殺してやるから下がっておくべ」
「わかった。こいつを殺したら次は私が相手だな。
   だが一旦この場を離れる。私は軍属している身でな、一度上に報告とやらをせねばならん」
「軍の奴らは頭が悪くて面倒くさい事も知ってるべ。
    逃げてもどのみち無駄だべな。好きにするといいべ」

先程までの殺気漲る場を作っていた二人とは思えぬ程の潔い体。
互いにやる事なす事を理解し、また完遂に自信があるため導き出される故の行動。
それを認め合う辺り、寳子も刺客の男も『出来て』いた。

「信、私は一切手を出さん。全力でやれ。『とりあえず死ぬな』。これが命令だ」
「イチイチうっせーんだよ何が命令だ!!さっさと政ンとこ行って先に飯でも食ってろ!!」

吼える信に彼女は鋭く言い放った。


「今から慣れておけ。命令の受け方も、仕方もな」
「―――――――――」



言って足早に場を後にする寳子。
宮に戻るその姿、身の熟しに一分の隙もなかった。
彼女が姿を消すまで見届け、改めて対峙をする信と刺客の男。

「さぁてやるか!!友達の仇を討ちに来たんだろ!」
「朱凶などどうでもいいべ。ムタの毒矢は脅威だべが、お前はこの鉞で八つ裂きにしてやるべ!!・・楽には殺さんべ」

宮の入り口、膝をつき壁に吸い付くようにして張り付く寳子は
耳を当て、死角から覗く様にして両者の様子を探っていた。

(ムタか・・文様といい吹き矢といいあの特徴、知識として覚えがあるにはある。
   しかし諸部族に関してはその数が膨大かつ広く分布している所為で
      似通ったものも在り、とてもじゃないが全てを把握しきれるものではない)

だが見ておくに越した事はない。
彼女はムタに注視する。

「観戦か?寳子」
「!大王!?」

驚く彼女を見下ろす者が二人。
一人は見知った王が剣を携えながら。
そしてもう一人はバツが悪いと蓑を被りながら寄ってきた。

「ごめん寳子・・政を部屋に留めておけっての、無理だった」
「貂・・」

何か言おうとするも止め、溜息交じりに目前の梟の頭に手を置く。
小さく縮こまっていたそれは、乗った手をそのままに上を向いた。

「気にするな。何もすぐに生きる死ぬの問題でもない」

報せただけ僥倖と、寳子は貂の頭を撫でた。
そして彼女もどこか、言って無駄だろうという事は薄々感付いていた。
政も膝をつき、薄く覗いた所から場を見やる。

「寳子、戦況は」
「はっ。とは言ってもまだ始まったばかりですが。
   相手は必殺の毒矢を自ら封じた模様です。斧と剣で分は悪いですが」
「勝てそうか」
「勝ちますね」

間髪入れずに答える寳子に、政は問う。

「・・大した自信だな」
「昨日信と手合せした分に関して言えば、力量は中々のものと言えます。
   更に相手は完全に侮っている――――――これは最良の状態と言えるでしょう」

寳子は続けて言った。
外では信とムタが剣を交え、両者手傷を負わせた所だ。

「ただ力が中々と言っても半端に変わりはありません。
   純粋な力のみ。技量はない。順当に行けば負けます」

なら何故、と政が問う前に彼女は向かい合い言った。


「あいつの頭に血が上り易い所に賭けましょう。
   ――――――退かぬ心。あれが長所となり得るのは、良くも悪くも戦場だけでしょうから」

起こる吃驚を見ずして視線を外へと移す寳子。

「なあ・・なあっ!助けに行かなくていいのかよっ!」
『必要ない』

二人に同時に答えられ、肩身を狭くする貂。
そんな彼女を見兼ねてか寳子は立ち上がった。

「大王、しかしながら間近で見ておきたいのも事実です。
   ムタという男の戦い方もそうですが、信のそれも把握しておきたいのです」

この隠れた状況から一転、前に出て手助けこそしないものの寄りたいと。

「前者はわかるが後者の目的は何だ」
「信は仕官を希望しています。そして私は幸い師に恵まれ、剣と長刀、戈といった武器の扱いに長けています。
   彼の戦い方を見る事で、始めくらいは何か助言ができればと」
「お前がそこまでする必要性は?」
「事情を知る者の方が良いでしょう。ただの兵には手に余ります。
     そして殿や壁副長の手を煩わせる必要性こそありません」

ここまで付いてきた腕を見込んで。
全ては国の為、王の為と彼女は言った。
尤もらし過ぎるその体に、政はどこか含みを持たせて言った。

「わかった。俺も出る」
「なりません!!」
「ならお前も駄目だ。寳子」

「なっ・・!?」

口を真一文字に縛る寳子を前に、ふと笑ってみせる政。
負けたと言わんばかりに項垂れると、わかりましたと一言呟いた。

「ただし貂は中にいろ」
「はあっ!?なん「私は王を護る。お前にまで気が回らないからだ」

もはや手立てのない貂は言葉を失う。
そんな貂の頭をまた、今度は二度撫でる様にして軽く叩いた。

外では信と同等、それ以上に素早いであろうムタの攻撃が繰り出されていた。
男の持つ鉞が信の横腹に食い込むと思われた寸前。
信はそれを剣で受け、吹き飛ばされる。

それを高みより見下ろす王と寳子の姿があった。


「やはり手が必要か?」
「いるかよっ!!」


疲弊は見てわかる程度に。
それでも威勢のいい声に寳子はそれ以上言葉を持たなかった。

(なるほどこのムタという男、よくやる。信も素早く目も追えているが・・)

交互に見やる。現状、差は見受けられた。
寳子の眉間にくっきりとした皺が浮かぶ。
信の技術的な方面ではない。
彼女は彼の、持ち前の軸のぶれに気が付いていた。

(気概がない。
  今の信には覇気というものが一切感じられない)

背後には座って観戦する政がいる。
それを護る様にして剣を取り、寳子は前に立ち塞がるようにして場を見詰めていた。

苦く起き上がる信を見やる。
立ち上がり構えたはいいが、その姿に違和を覚える。
寳子の口が薄く開いた頃、背後で政が声を張って言った。


「下がるな信!不退転こそがお前の武器だ!!」


遠くから聞こえる声に。背後から響く声に驚く信と寳子。
しかしその声に導かれる様にして体勢を変えた信は、下がっていた足を前に出す。
戦いの様相は打ち合いの体を成した。
このとき大王の檄で復活した信は持ち前の実力以上、否。
以て上はこのムタとの戦いの間に己がものとして受け入れたと。
さも当然のように振るう力は、確実に信のものとして自身に蓄えられていた。

「(流れが変わった!――――しかし長期戦はまずいか)
    いけ!信っ!!敵を圧倒しろっ!!!」

寳子は構えていた剣を上から斜め下へと薙ぐ。
柄を握る手には力が込められていた。

「前の刺客、朱凶の時。信は怒りに我を忘れて戦った。
  いま目の前に起こる強さは、そんな曖昧なものではない」

立ち上がる政に気付き、寳子は脇に控える。

「この戦いが真剣での初戦。・・漂と千を越す打ち合いをしてきたんだ。
   殺気を跳ね返す精神力をつけ前に出た。―――――ここからの信は相当やるぞ」

尚も打ち合う。激しい剣戟に宮中で耳を覆う貂。
ムタは余りの怒濤に怯む。その表情からは確実に焦りが見えた。
信は圧して、更に前に出る。
先程までとは打って変わり、無尽に斬り合う。


(戦って、戦った分だけ強くなる)


斬り合いが一方的になった時、勝負は決した。
相手は彼の剣を追えず受け止めきれなくなり、信はムタを切り刻んだ。
そして一刀が入ると、ムタは地を背に倒れ込む。

喜び勇んで飛び出る貂に、一息吐く政。
そしてやり遂げたと肩を撫で下ろす信を、寳子は見下ろしていた。


(よく来たな、信)


目を細めて。
翳した剣を静かに下ろす。
熱気の籠る生ぬるい風が頬を撫でる。
神聖な場所にあるまじき死の気配が漂う。
故か否か。
彼女は慣例の如く落ち着き払っていた。


(――――――これより先は統べる者達の道。
            
   ・・存分に振るえよ。王の剣よ)


約束通りの名前を呼ぶ。
王の剣。
おそらく不遜と非難を受けようものであるその取り決めは、
昨夜提案され、彼女と彼が決めた事柄に由来する。

須く足跡を血で満たす業の道。

手を差し伸べる彼女のそれは


既に血で塗れていた。





「くっ・・ベッサ族の戦士としてこのままでは終われないべ・・王様の命だけでも貰っていくべ」

倒された筈のムタが突如起き上がり、言を述べて吹き矢を打つ体勢をとる。
先の戦闘で疲弊し、足に力の入らない信の剣は届かない。
毒矢で狙われる政の前に立つ寳子だが、目先の影に凝視する。
呆然と見やるのも束の間、その影はいざ毒矢を放たんとするムタに重なった。


「我が王に何の真似だ貴様ァアアアアーーーーーーッッ!!!」


護る寳子。
斬るその影は、確かに実態を以てして現れた。

昌文君は長刀を高く振り上げると、そのままムタを一刀に伏した。

「――――――――――」

言葉にならない。
声が出なかった。

「てめぇはっ・・!」

警戒し、眼をくれる信を余所に昌文君は大王へと歩み寄る。
途中寳子を一瞥したがすぐさま視線を移す。
そして政の元へと着くと、ただ深く拝礼した。
それを見た寳子は我に返り、同じく拝礼し身を低くする。

「脱出の手立は万全と言っておきながらこの為体。
  全ての責任はこの私めにございます。
    お仰せとあらば今すぐ傍の岩で頭を砕いて果てまする」

驚愕に礼を解く寳子。
認める政の視線に気が付き再び礼を戻す。
昌文君は次いで言った。

「しかしっ・・!まずは何よりも、よくぞご無事でっ・・!!」

大王の壮健な姿に涙を流す。
これ以上のない事だと誰もが嗚咽を漏らした。

「お前もな」

そんな中、政は穏便に昌文君に声を掛ける。
更に涙するその人の肩を、寳子は駆け寄り支えた。

「昌文君。寳子は途中で合流を果たし尽くしてくれた。
   ・・お前を失ったかもしれない絶望を乗り越えてな。
       もはや俺に遠慮はいらん。言葉を交わすといい」

許すと、政はそう言った。彼ら二人だけでなく、
よく生き遂げた、寛げと政は昌文君の私兵達をも労った。

「寳子・・」
「殿っ・・殿、も・・よくっ・・、ご無事っ・・ ・・!!」

片手で顔を覆う彼女に、今度は昌文君が肩を抱く番だった。
よくやった。
その一言に上がる声は細く、高く。
控える私兵達には聞こえない程のか細い声で、きっと彼女は泣いていた。
昨日も今日も、その前も。
いつからか全く涙を流す事のなかった自身を、まるで責め立てるかのように流れるそれは
やはり彼女の手に、目に余るものだった。

次第を見詰める信。
傍らには事情を知る貂が、彼に声を掛ける。

「お前は怒って叫んで、飛びかかるくらいすると思った」

言い得て妙だ。
それを

「・・そうするつもりだった」
「だった?」

既に思い出話だと、信は言った。

「言われたんだよ。あいつに」

思い出す。謗り罵りの類ではないその言葉を思い出す。


「人を殺さねぇで、何の・・どこの将になるんだって」


寳子を見詰める貂。
そうか、と一言呟いた。

「何も言い返せなかった。・・漂は死んじまった。もうどうにもなんねぇ。
    これで大将軍にもなれねえってなったら、俺の方こそアイツに合わせる顔が無ぇ」

昌文君は寳子の肩を抱き立ち上がる。
彼女は相も変わらず顔を手で伏せていた。
政は生き残った兵の前に立ち、安否の遣り取りをしていた。


「どんだけ怒ったって、どんだけ喚いたって同じだって事はわかった。
    だから政に付いてって、俺は俺の夢を―――――『俺達』の夢を叶える」


だから援ける。
あくまで乗ってやる。
全ては友との誓いの為に。

傷だらけの体はしかし真直ぐと。
見据えるは先。後悔はした。
無名の少年は夢に向かって歩き出した。







 




2013 0217