『うわぁあああああああああっっ!!』
貂は政と共に馬に乗り、寳子は運悪く外れ籤を引きこの為体。
信が馬の手綱を引き、その前を彼女が跨る恰好になっていた。
支えは鞍の些細な前橋と両股、大腿部のみである。
寳子は余りの状況の酷さに何度か意識を手放しそうになった。
「お前!遊んでいるのかっ!!死ぬぞ!!!」
「あそっ、お前こそ喋・・ずぁああっっ!!」
しかしその中にあって悪態は確りと。
彼女は死地の内に―――――走馬灯とは表したくはない、
一刻ほど前の出来事を思い出していた。
『よし信。お前に馬の手綱を預けてやろう。早く慣れるに越した事はない』
『っしゃ!!んじゃお前、前座れ』
『なに、心配するな私がいれば・・ま、前!?』
『たりめーだろ。後ろで俺にしがみ付きてーってんなら話は別だけどよ?』ほぉー?へぇー?ふぅ〜ん?
『馬鹿を言うなっ!貴様の下心などミエミエだこの色スケがあっ!!』
『だぁれが色スケだこの阿呆スケがああ!!
てめぇの筋張った重いだけの体に興味なんてあるかあっ!!!』
自惚れんなよ!と彼女を指差す信だったが
それをあらぬ方向へと曲げられ悶絶する。
憤怒の赤か羞恥の赤か。
寳子は無言のままぎりぎりと、またしても胸倉を掴みあう両者に政は一言『落ち着け』とだけ言った。
貂は慣れたのか面倒なのか関せずと早々に馬に跨った。
―――――――そして今に至る。
「手綱を引けぇえええええ!!!」
「こっ、これかっ!!」
手に絡めてあった手綱を一気に引く。
馬は右往左往、上体を跳ね上げると速度を緩めた。
「うっ・・きゃっ!!」
反動から後方へと大きくぶつかり、信に体を預ける形になる。
次に前に大きく減り込むと彼女の額と鼻は赤く打の跡を残した。
「ぶわっははははは!!!うきゃだってよ『うきゃ』!!
おめー誰だよ何人だよっはははは!!!ってうおっ!」
険狭に足を掬われた馬が前方に傾く。
抗えず同じく傾く者、抗い後方に身を引く者。
結果両者の軸は揃い、頬と頬とがぴたりと合う。
気にも留めない者、余りの出来事に硬直しひび割れる者。
寳子はもちろん後者であった。
「ひっ・・! こっの・・!!
ひっつくなぁあああああああああああ!!!」
悲鳴とも、ただ絶叫とも取れるそのあらんばかりの声は森に木霊する。
後方をゆく皆々が察する所ではあったが最早何者にも成す術はない。
「くそっ!私が王の馬を引いてい・・
あああ駄目だっ!!貂が死んでしまうっっ!!」
「誰がどうして死ぬんだよっ!!」
「お前の馬鹿は死んでも治らん!!!」
半ば所か完全に。
もはや脈絡さえ掴めぬ彼らの言はただの雑音として駆ける森中に響き渡る。
終始騒ぎ立て、暴走する馬でもって先陣を切り続ける二人はその雑音と共にいつしか姿を消した。
思い思いの後方組はしかし、誰一人として口を開けない。
否、開けようとした者はいた。
「ねー政」
「なんだ」
「・・ううん。なんでもない」
「そうか」
開けようとして閉じられた。
賢明であると、王はただ馬を走らせた。
皆から逸れて二刻ほど。
主従において双方落ち着きを取り戻し、信は並みの馬術を会得していた。
「や・・やっと、コツを掴んで、きたようだな」ゼー、ハー
「ばっかお前・・俺は大将軍になんだからこんなの一発でいけんだよ・・」ゼェエー
疲弊しきった体。
払った代償の大きさが窺える。
「うぅ・・疲れた」
馬上でこれ程に気を削ぐとは。
と。
寳子は自然と近くあるものに寄りかかった。
「・・・ん?」
背後を陣取る者はただ一人。
回らぬ頭で一拍置いて、やっと彼の名が浮上する。
―――――信に他ならない。
気付くに遅すぎた彼女はしかし、全力で以てしてそれを一気に引き剥がした。
「ひっつくなと言ってるだろふざけるなぁっ!!」
「てめぇがふざけんなよこのバーカっっ!!!」
流石の言い掛かりだが、よもやこれまでの仕打ちに黙って耐えていられる筈もない。
上体を反って片手で信の頬を押して引き剥がす。
すると頃合い不味く馬は体勢を崩し、両者左方へとつんのめる。
信は片方で手綱を引き、もう片方で彼女を抱える様にして肩を抱いた。
「―――――――――」
「っ、だからっ!・・ふざけんなって。落ちても知らねぇぞっ」
どちらの驚きか知れない。
落馬しなかった事か。
それとも、今この時の現状か。
余りの急な出来事の応酬に、寳子の何か言ってやりたい気持ちは行き場を失った。
「・・・だっ、だからひっつくなっ」
「あーあースミマセンね、っと」
取り敢えずの取ってつけた悪態も小事だと
信は打って変わって軽快に馬を飛ばした。
「う・・っと・・」
(あ?)
小さくささめく声はしかし、距離が近い為か耳によく通る。
「もっ、もともとお前の扱いが悪いから、馬が不安で暴走してだな」
「はー・・お前の説教は聞き飽きた」
「そ、それを前提でだな」
「ったく!何な「支えてくれた事には感謝する!と、いうことで。だな」
暫し沈黙の中で駆ける。
すると風を切る音に混じり、誰彼の笑い声が小さく聞こえた。
彼女の憤懣の顔が彼に向けられる。
「ぶっは!・・あーあ。素直に言えっつーの」
「何がだっ!言ってるだろう言っただろうこれ以上なに「だーぁもう!黙っとけお前!!」
馬を手綱で叩き加速する。
小さく呻き、信の胸に手をつく寳子。
心許なく、やっとの思いで安定した景色。
この景色を、彼女は既に知っていた。
「・・漂はもっと上手く乗りこなしてた」
「・・ ・・あーそーかよ」
黙る。
何の表意か。
何の不満か。
各々、風の通りにその思惑はただ通り過ぎていく。
意識する事もなく、ただ過っては消えていった。
「俺もやっと馬に乗れたぜ、漂」
独白の類だった。
ここにはいない誰かに向けた言にまた言を被せる。
「――――――――馬はいいぞ、信」
終ぞ果ての見えぬものと思われた馬術は安定し
これを推すに足る力量を早くも身に付けた彼に送る。
「ただ駆けるにも、戦の時も。
風を切るものであって、そのもの自体が風。
攻め当て喰らう前に去る。重い得物を持っていたって、翳すだけでそれは刃になり得るんだ」
馬に手を添える。
熱が伝わる気がした。
「鍛えれば難所だって行けるし、乗り継げばそれこそ何里だって飛び越えて行ける。
連れて行ってくれる。どんなに遠く在って、人の足では弱音を吐く距離だって、どこへでも」
自信とも、誇りとも。
ああこれでは、反する従はいまい。
「だから私は好きなんだ」
豪語ほどに強いてはいない。
然も当然、然りとただ穏やかに言った。
平時忘れそうになる、その者の質というもの。
再び垣間見る優しく微笑む彼女は、やはり寳子その人で。
信はそれを前に、またも閉口するより他なかった。
「お前は高く高く、
もっと高く飛んで行けよ。信」
それも彼女の問いを切っ掛けとする。
閉口するが儘の自身を吹き飛ばすかの如く威勢よく、しかし思いの淵に沿って言った。
「へっ、まぁ見とけ!
俺は俺達の夢まで、いやそのずっと先にだって行ってやる。
漂も、政も。―――――お前だって連れてってやるよ」
だからしっかりしがみ付いてろ。
呆気の彼女を放り、更に速度を上げる信。
目を細める寳子に言はなく、ただ当てた手に力を込めた。
とうに陽は沈んでいた。
彼らが皆と合流する頃には礼も済み、既に火を囲んで諸々歓談に興じていた。
あれだけ先頭をきっていたにも関わらず、彼らは無駄に迂回を繰り返し最後尾を張っていたのだった。
肩を落とし戦慄く寳子を余所に揚々とする信。
着いて未だ肩を抱く信を強く突き放すと、馬を降り自身の指揮官を探した。
生き残り散会した兵達はここに集結し未だ増え続ける。
周囲を見渡し、挨拶もそこそこに。
暗としていた心に再び火が燈る頃には、彼女は昌文君に目通り適っていた。
周囲に集まる皆が拝手する。
注意は目前の昌文君と寳子に注がれた。
「寳子よ。大義であった」
「はっ。労いのお言葉、有難く頂戴致します」
何よりの褒賞と礼をし、昌文君は頷く。
「子細は大王より伺っている。今宵はもう休め」
「えっ!?あ・・いやしかし。後の会議の旨、既に伝わっておりますが・・」
寳子が恐々と答えると彼の方が近く歩み寄る。
他には聞こえぬよう、か細い声で言った。
「よい。明朝に別に報せる故、休め。
――――――山の民達が殊の外お前と居辛いと言うのも一つなのだ」
息を深く呑むと音もなく吐き出す。
遠慮と感謝とで曖昧な言はしかし、聞くには足る体を成す。
「・・・そういう事でしたら」
「すまぬな」
「いえ。・・では、兵達の状態を見回ってから早めに休ませて頂きます」
「うむ」
拝手に一礼。
主の背を見送り、遅れて寳子も踵を返す。
それをまた周囲の者達が同じくして見送った。
休むと言っても早い。
端的に眠れという訳ではない事は承知だが、それにしても余す程の刻がある。
手持無沙汰だと。
彼女は一時立ち尽くす。
周囲を見やる。
やれ作戦やれ衛生、やれ馬の世話に苦心する。
傍と。
彼女が一点に捉われた最中、
暫し遠方にて一際大きな声が聞こえた。
「貂!草持ってこい!」
「人使い荒ぇえーー!」
馬の世話をする信が貂を呼び止める。
ブツクサと呟く貂を前に、餌の枯草を所望する言は叶えられた。
「ほら、草だ」
『寳子!?』
周囲の兵達と軽く言葉を交わし、二人に向き直る。
「こら信。貂をこき使うんじゃない」
「べっ、別にこき使うとか!そんなんじゃねーよ!」
言うと枯草を馬の口近くに運ぶ。
自分は懸命に世話をしているのだと彼女に訴えかける様にして。
「貂、他の手の回っていない者達を手伝ってやってくれるか?」
「おっ、おう!任されたっ!」
途端に意気の入る貂に怪訝な顔を向ける信。
寳子はその彼の頬を摘むと、真逆の方へと向けさせた。
「いい機会だから馬の事を教えてやろう。世話は大事だ。
しかし見過ぎる、というのも馬にとって決して居心地のいいものではない」
手取り足取り、始終傍にいてやる必要はないと。
その間に自分で枯草くらい取りに行けと彼女は言った。
「余り構い過ぎると嘗められるぞ。自分の召使いだとな」
「めっ・・!?俺が馬の召使いぃっ!!?」
信の大声に頭をぴしゃりと叩く。
周囲の響動めきに寳子が一瞥をやると、
何事もなかったように皆一様に世話に歓談に作戦にと戻った。
「性格だって違う。相性だってある。人と同じだ」
ふーん、と実なく応える信は食事中の馬の鼻を撫でようとする。
寳子はその手も否応なく叩く。
抗議に乗り出す信に彼女は『お前も食事中、手を出されたいか?』そう答えた。
「合わしてやれる所は合わしてやる。そうすれば馬も合わせてくれるようになる。
―――――それが信頼だ。それが深いかどうか。深くできるかどうかが問題なんだ」
先程の注意を受け、馬を眺めるだけの信は吽と答える。
(走りゃいいだけだろ馬なんてよ・・)
いまいち理解の範囲には届いていないようだった。
「だからと言って結局は動物のそれだ。理想論で終わらせず、躾はしっかりと行わなければならない。
ちゃんと『扱う』こと。馬は自らを扱う者に主人である事を望む。れっきとした『主従』を結ぶんだ」
枯草を一つまみ。
馬はそれに気付くと鼻を寄せ、信の指先から草を食らった。
(おぉ・・ ・・うわ、べとべとすんな)
「しかし馬は気位が高い。絶対的な主となるか、離れ得ぬ友となるか。それを決めるのは馬の方だ。
優しさ、甘さ。勇敢、無謀。強さ、弱さ。利点のほどは双方の足並みで決まるぞ。
どこまで共感できるか。し合えるか。共に忠実でいられるか。それを見極めろ」
馬を見やる。
水の桶を差し出すと勢いよく飲み始めた。
「相性なぁ・・」
「特色と難色。前者をいかに引き出し、後者を抑えられるか。
・・まあ難色でも主の相性と合えば、通常考えられないような馬力を出すかもな」
こういった暴れ馬とか。
お前なんか特に相性いいかもな、と
寳子は笑いながら言った。
「って事はお前の馬はやっぱ雌なのか?」女同士
「あのな。女が乗るからといって馬も雌とは限らない。
特に軍馬、規則を重んじるような場に関して言えば雌は入らない。入れられないんだ」
「?何でだよ。そんな雄とか雌とか選んでていーのかよ」ヨユーだな
「雌だけで構成するなら話は別だ。あと時期の事もあるが・・ま、まあ。そういう事なんだ」
歯切れの悪い回答に疑を抱く信。
右往左往と彼女の顔を覗き見るが、直ぐに逸らされる。
腕を組み訝しむ信の前に、明確な回答を口にする者が現れた。
「でないと牡馬の脚が五本になるからな」
「へっ、壁兄っ!?」
しまった、と。再度普段呼びをしてしまった己の口を手で覆い隠す寳子。
しかし顔が赤いのはこれだけの所為ではないだろう。
拝手する周囲に手を挙げ、直りを促した。
「ははっ、頃合いも頃合いだ。気を休めてもいいぞ寳子」
「す、すみません・・」
気にするな、そちらの方が気安いと壁は言う。
場も落ち着いた所で信は、先程の疑問と壁の答えを照らし合わせ口にする。
「つーかよ、脚が五本って何だよ」
「ふむ。・・・・ナニだな」
「は?」
「わっ!私はっ!!他に用があるのでっ!!」
唐突に背筋を伸ばしたかと思えば、真っ赤な顔をして去ろうとする寳子。
そんな彼女をますます訝しむ信と笑い飛ばす壁。そして周囲の実に穏やかな視線がそこにはあった。
「はっはっは!寳子、お前もいい歳なんだから
これくらいで照れていては相手が出来た時に大変だぞ」
「壁兄こそいい年なんですから早く相応の相手を迎えて下さいっ!
山の王を前に鼻の下を伸ばしている場合じゃないでしょう!?」
「あっ!あれは単に!!別にそういう意味じゃないっ!!」
「じゃあどういう意「待てっ!これ以上は諸刃だぞお前だって勝手に婚「やーめーてーくーだーさぁあああいいっっ!!!」
二人の秘密って約束でしょう!?
先方のあんな登場で周囲が気付いていな○×△※□
壁の口を塞ぎに掛かる寳子。
双方赤く、慌てふためき言い合う様に信は面倒になったのか再び馬の世話をし始める。
周囲は慣れた体と各自作業に戻る。
言い争いも佳境と思われた頃、近き者達にはもはや彼女のお決まりとも言える発言が飛び出した。
「私は結婚も!出産もしませんからっ!!
この身は秦国のものであって!!私は一生を戦場に捧げるつもりですからっ!!!」
では!と。
言うだけ言い競歩よろしく、異常な速さで彼女は去って行った。
私兵皆々は溜息、壁に至ってもやれやれと心底に吐いた。
「・・何だアイツ(あんなんで殴るか犯すかしていいとか言ってやがったのかよ・・)」
「はあ。ま、男が出来たら自然と変わるだろう・・とは思いたいんだがな。
周囲の者達も気を揉むし、全く。あの強情さは一体誰に似たのやら」
「あ。昌文君のおっさん」
「うわぁああああああ!!すっ!すみません殿っ!!そんな心算ではっ!!!」
傍と気付いた時には信は遠く。
顔を真っ赤にして怒鳴る壁に周囲は響動めき合った。
寳子は未だ休まず、続々集まる兵達の中にいた。
彼女の姿を認めるや否や、彼らは拝礼で以てしてこれを迎える。
「寳子様・・!?」
「寳子様だっ!!」
『よくぞご無事で!寳子様!!』
何度目かの挨拶だが、これに疲弊してもおれない。
寳子は小さく息を吐くと、改めて向き直った。
「ありがとう皆。私もお前達が無事で、またここに集ってくれた事を嬉しく思う」
さすが我が殿の精鋭達と謳う。
彼女の心遣いに感じ入った彼らは涙を禁じ得ない。
「ううっ・・い、一時は殿の行方が知れず、王騎に殺されたと聞いておりました。
貴女様におかれましては敵兵に囲まれ、無念のなか投身を図られたとっ」
「しかしそれが殿の号令で謀であったと知り、馳せ参じた次第です。本当に、本当に良かった・・!」
「・・・・・・」
応と。世話を掛けた事を侘びる寳子に皆一同に首を横に振る。
『無念の中、投身』
この言葉を反芻する。
寳子は穏やかに口の端を上げた。
寳子の突撃が王騎軍什騎の横腹に食い込んだ。
隊列を組む十の騎馬は乱れ、彼女を迎え撃つもの、追うもの、距離をとる者に分かれる。
しかし彼女はその馬術を駆使し、荒い路をも諸共せず敵馬の嫌がる道をゆく。
列を組めぬままの精鋭達に指揮を送る方元。
二騎からなる挟撃を図るが、寳子はこれを一刀に伏せた。
各個に挑み且つ連携を取れと指示するが、寳子はこれが通る前にもう二騎を落とす。
残騎六。方元は一旦下がらせるが寳子はこれを読み、先んじて後方に回ると散開の際に一騎、二騎と討った。
追っていた王騎兵が、追われる側と化す。
まさに恥辱の何物でもない戦況に先走る騎影三つ。
方元が制するのも聞かず、血気盛んな兵士共は獲物を高く構え挑んだ。
「精鋭だろうが――――――――」
意気に酔った余りの無謀。
勢いのつき過ぎた強者ほど崩すに容易いものはない。
「詰めば倒れる。令届かねば烏合の衆だ方元・・!」
屈強の、それこそ六将ほどならいざ知らず。
精鋭とて兵。将にも満たぬと彼女は一蹴した。
崩れる敵影は道に落ちてゆく。拾う者は無し。
走り続けていた為すでに山崖近く、この山を登り道に沿えば合流地という所まで来ていた。
寳子、方元共に止まり居直る。
構えた二人は互いの息を読むと、どちらともなく斬りかかる。
「ぜぇ・・!ゼッ・・」
「はー・・ ・・はー・・ ・・」
一騎討ちの様相はそう派手なものではなかった。
斬って受けて。返して流す。
討 ち 合いと言うよりも、 打 ち 合い。
遠く点在する王騎兵の呻き声が聞こえる。
それほどの静寂ある場所にまで彼らは辿り着いていた。
ただ難点であったのは馬こそ機能せず不戦の体だが、
倒れている九名の敵兵は皆死んではいなかったという事。
それは言い換えれば、どれも致命傷は避けられていた事に他ならない。
この異様な体に気付いていたのはしかし、何を隠そう全て。
―――――茶番である―――――
駆けた什騎と一騎であったろう想像は固い。
「・・・寳子」
「方元――――――貴方は刻をおいて戻り、援けを求めに行け」
「!?」
見逃す代わりに、自身も見逃せと彼女は言った。
「私を追い掛けてきた貴方たち什騎は、私を仕留める為に来たのではないな」
次いで放たれた質疑に方元は答えない。
何故ならとうに答えは彼女、寳子の中にあった故に他ならない。
「寧ろ私を事情の知らぬ他兵と離す為に貴方たちは追った。違うか」
提示された答えに、王騎軍兵隊長が答える事はなかった。
「・・王騎将軍は何を考えている。どういう心算か知っているなら答えてくれ」
結果は承知。過程は如何でか。
寳子が構えを解き問いかけると、呆気と溜息を洩らし先方もこれを下げる。
「・・いや」
「・・・・」
「事情を知っているのは私だけだ。
騰副官より耳打ちされた。お前に対する最小限の事のみだがな。
・・他九名は本気でお前を仕留めようとしていたよ」
討つ事も辞さないではあった、そう答えて。
寳子の覇気が消える。
実際はどうだ。
彼女に襲い掛かる刃には殺気がなかった。
大袈裟に過ぎる意気を逆手に取ったつもりだが、よもや、と。
それこそ恥辱であると、このとき初めて寳子は方元を『睨んだ』。
「・・しかし「しかしお前が手心を加えていると感じたのなら、事実そうなのだろう」
寳子が反する前に言葉を被せる。
次に溜息を吐いたのは彼女の方だった。
全く遣り辛い。
―――――幼き私よ。余り顔を広め過ぎるのも苦労物だぞ。
そう寳子は過去に想いを馳せた。
「お前は王騎軍にとってもはや見知り。不逞を働いていたというならいざ知らず。
・・私もお前が初めて城に顔を見せた時から知っているからな。その努力も、勇も」
「貴方は あ の 王騎軍にあって凡として・・ ・・それが逆に可笑しかったな。
―――――隆国様の傍にあって。顔見せという意味では私と同期だった」
見込みあればどんな者でも引き立てる将軍、王騎。
一回り年が違う彼女の、王騎の元での同期、方元。
戦場に参じた数は言わずもがな。
しかし彼女の武は当時彼に見劣りするものではなかった。
故に甘んじて『同期』。
しかし彼女を知った方元は特に否と言わずこれに納まった。
寳子も彼への尊敬の念は固い。
年の事もある。武の事は言うまいが、それ以上に彼は軍略に長けていた。
個人の戦術こそ推して知るが、彼の得意とする所は戦場のそれ。傍に在った人物にも由来するのだろう。
格から未だ実戦に移す機会に恵まれないものの、逆に隊長に納まる方が不得手という特異な気質を持つ。
言ってしまえば軍師の質。
だが彼は敢えて戦場に向かい得物を振るう位置に準じていた。
他愛もない会話をする。
時には笑みさえ零して。
情報交換と称して彼らはただ、
望郷と言を交わしたかったのだろう。
「彼の方はご健在か?」
「隆国様か。ああ、此度は参戦されていないが」
「そうか・・(やはり主要は・・ ・・録嗚未様が居ない事も不幸中の幸いだな)」
胸を撫で下ろす少女を前に、方元は真剣な面持ちで話の筋を戻す。
「しかし寳子、お前とて加減をしたな。
していなければこうして私が話す事は疎か、地に転げる奴らは諸共死に体の筈だ」
共に殺すべき相手ではないと悟っていた。
敵が違うと。
敵は此処に非ずと、両者共に思っていた。
「方元、私は」
「将軍の考えは私にもわからん。
・・ただ言える事は、王弟に与したわけではないという事だ」
「―――――――――」
兵を上げて。
しかし与せず。
その理由を優劣どちらに傾けるかで寳子は一時止まる。
劣であれば。
秦の、照王の夢を見続けているか或いは。
叶わぬものと諦観から詰まらぬ従と成り果てている。
優であれば。
秦にあって、中立というものを謙り利用している。
我らでは到底及ばぬ内事に関与している可能性がある。
(――――――――――迷っているのか。秦の怪鳥)
降り立つ場がないと延々空を周るか。
否。
秦を見据え、適う者を高くから傍観している。
関わりはする。
その体が必要であるから。
それで崩れれば
それまでと。
寳子は伏せる顔を上げた。
「方元。戻り報せる際は、私の事は死んだと言っておいてくれ」
吃驚はしかし、難なく腑に落ちる。
「殿、昌文君は王騎に 討 た れ 、死 ん だ」
「・・・・」
「子の寳子は決死の体も成す術無く、彼の後を追い、世に絶望して崖より身を投げたと」
昌文君の存在に比べればこの身は矮小と。
遥々捜索隊を出してまで検する事はないと彼女は言った。
「わかった。お前が去って一刻。
そうしたら私は援けを呼びに行き、この者達を引き上げる」
「頼む」
「行け寳子。うまく掻き分けて行け。
――――――また生きて会おう」
それが合図と双方、振り返る事もなく別れた。
「また山の民相手にご健闘されたとか!
寳子様の益々のご活躍、臣としてこれほど嬉しい事はありません!」
「私だけの力ではない。お前も兵然と成すならこの意味がわかるな」
畏敬の念を向けられ引き戻される寳子。
力強いそれを前に、彼女は柔に受け流す。
ご謙遜を、とは目前の言。
交わす言葉もそこそこに、彼女はその者の前から去った。
天よりも明るい光が地には在る。
火は焚かれ、点在するその中で皆一様に語りに入る。
盛りにあって、彼女はここで昌文君の言を守るべく寝床へと向かった。が。
「おっ!寳子じゃねーか。何だ、もー寝るのか?」
「ああ。明日に備えてな」
「んだよこれからだってーのによォ!
やっぱどんだけ威張っててもガキはガキだな!」
「煩いっ!それにお前が言うな!私はこれでも十四だっ!!」
「げっ!!・・マジかよ」同い年っ
「宝刀を取り戻したら直ぐにお前で試し切りをしてやるからな・・!」
下らぬ者に下らぬ言で下らぬ刻を割いてしまったと
指で米神を押さえながら、碌に別れの挨拶もせず寳子は歩を進める。
『ぜってー上だと思ってた』
などという雑音はこの際あえて捨て置くとして。
しかし遠ざかる彼女の腕を、強い力が引き留めた。
「・・何だ。まだあるのか」
幾許苛ついていると、声が言う。
故か否かは知らぬ存ぜぬと
得意げに彼は拳を差し出した。
「明日!!やってやろうぜ、寳子!!」
括目する。
唐突な行動もそうだが、今日明日にあって
この気力の持ち様は味方として心強いものだった。
先しか見ないと、彼の目はぶれる事がない。
迎えねば廃ると言うものだと。
彼女も得意げに拳を掲げ、当てた。
「ああ。やってやるぞ、信」
この目の先は同じものを見る。
互いの瞳に映る同士もまた、同じ者を見る。
苛つきは消えたと、声が言った。
2013 0304